未来を学ぶ SFに触れる

過去を知るために歴史を学ぶ されば未来を知るためにSFに触れよう

ユートピアの臨界点~ハーモニー~

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

見せかけの優しさや倫理が横溢する”ユートピア”―

―『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点


私の好きな小説です。
この小説の裏表紙のあらすじに書いてある「ユートピアの臨界点」という言葉がすごく好きです。

ディストピアSF熱に浮かされ、ジョージ・オーウェル一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)」や村上龍歌うクジラ(上) (講談社文庫)」などを読んでいた時期がありました。
ユートピアディストピア。対義関係にある二つの概念は往々にして表裏一体で描かれます。

誰かにとってのディストピアは、誰かにとってのユートピアでもある。

では、誰にとってもディストピア、誰にとってもユートピアな世界は実在するのでしょうか。


もともと伊藤計劃氏はゲームクリエイター小島秀夫氏の発信で知りました。「虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)」を最初に読み、帯にあるとおりのナイーブな語り口――冒頭「ぱっくりひらいた腹からはみ出た腸が、二時間前まで降っていた雨に洗われて、ピンク色にてらてらと光っている」という文章に一気に引き付けられ、虜になりました。

本作「ハーモニー」は、少し変わった「書き方」の小説です。
あらすじを読んでも具体がつかめず、読むか迷っていた自分に、装飾のない真っ白な装丁と、「ユートピアの臨界点」の文字。そこに書かれているのが終末の物語なのか天国の物語なのかを知るために、私は本を開きました。

【以下、ネタバレを含みます】
ディストピアSFの意味
上述の「1984年」はプライバシー・思想が管理され、公的文書の改竄が日常的に行われる全体主義社会を描いています。すべてが管理され自由のない世界。主人公はレジスタンスに協力し、現体制の打破を目指します。

このような、プライバシーの管理・統制をテーマにしたディストピア作品は多いように感じます。当然、無秩序で何に対しても自由な社会は、犯罪の温床となります。すべての犯罪者が漏れなく逮捕される平和な世界が望まれることでしょう。

現代でも、ある番号列のみでパーソナルデータを管理する動きや、交差点に監視カメラがつけられ、信号無視をした人間の顔写真・プロフィールまでが公開されてしまう国が存在します。

ディストピアSFの世界がやってきた」と人々は口にしますが、何も時の権力者の権力拡大や民衆の奴隷化のために監視カメラがつけられるわけではありません。誰もが平和に生活できる”ユートピア”の実現のためです。

このようにユートピアディストピアは表裏一体であり、行き過ぎたユートピアディストピアになってしまう。それゆえディストピアを描き警鐘を鳴らすことはできても、ユートピアを示してそこに導く物語は少ない。

このジレンマを孕んだ現実に対して、辿り着きうる最も遠くにある、最も純粋なユートピアが、「ハーモニー」には描かれています。

■個と社会
人は最初、一人一人の”個”でした。それが集団を形成し、社会を作った。しかし、社会と個は相反します。個の意識・自我・欲望により、社会は常に不安定なまま現代まで進んできました。

すべての社会的決定に対して、すべてが自明に選択されれば。社会にとっての最善策を常に取り続けることができれば。
そうすれば、争いがなくなり、議論がなくなり、人々は”幸せ”になる。

ハーモニーの世界では、人々の意識ー心が消滅します。

いままで、アンドロイドに心が芽生える瞬間を何度も見てきました。
しかし、人間の心が消滅する瞬間を見たのは初めてです。

これがハッピーエンドなのかどうかはわかりませんし、恐らく、ハッピーエンドと定義しても、その「ハッピー」という感情を持つ対象が不在なので、意味を成しません。

SFはいろいろな未来を見せてくれるので好きです。

前記事(以下)にて、人類がいなくなった世界でも、新たな自我の存在(アンドロイド)が歴史を紡ぎだせば、それは希望の物語だと語りました。
suberix.hatenablog.jp

私はハーモニーを読んで、SFが描きうる未来の限界点を観た気がします。ユートピアの臨界点、と同時に、人類の歴史の終着点である、と。

ほかにも様々な終着点があるはずで、今この現実世界がどこの路線を通ってどこにたどり着くのかは分かりません。

ただし、「誰に対してもユートピアたる世界」という路線を選択したときの、最後の駅。これが、ハーモニーのエピローグで描かれる「意識のない世界」だと思います。